1940年、ポーランド東部のユダヤ人家庭に生まれる。17歳のとき、単身イスラエルに移住した。その後、パリ・ソルボンヌ大学で物理学を学び、博士号を取得。ジョリオ・キューリーの研究所に勤務。
嘉納治五郎から柔道を学び、黒帯となりヨーロッパ初の柔道クラブ(後のフランス柔道連盟)を創始。第二次世界大戦中はイギリスに逃れ、戦後イスラエルに帰国、国防軍の電子部門責任者を勤める。
早くからヨーガ、フロイト、パブロフ、神経生理学を深く研究、東洋の身体メソッドを求めて来日したこともある。1984年死去。
フェルデンクライス・メソッドの基礎は、すでに1940年代に形成されていたが、欧米で一般に普及され始めたのは、1970年代の後半からである。
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