私が初めてフィンドホーンの名前を聞いたのは、母、広瀬尚子が2000年に参加した体験週間から帰ってきてからだったと思う。祖母が亡くなり、北軽井沢に移住しカフェを始めて数年経った頃。母はアイリーンの本を読み、絶対に行くと決めていたそうだ。念願が叶って帰ってきた後に、きっとどんなに良い体験をしたのかという話を弾丸のようにしてくれていたと思うのだけれど、そのことはあまり記憶にない。ただ、その旅から帰ってきてからの母の在り方が、それまで様々なニューエイジのセミナーやワークショップを経験してきた後とは何かが違うな、と感じていた。外側から何か教えを得てきたのではなく、内側にぶっといものができたような、そんな印象だった。なんとなく、気になるけれど、でもまだ懐疑的、それが私のフィンドホーンのファーストインプレッションだった。
母は翌年から自らツアーを企画。2003年にはフィンドホーンからのゲストを北軽井沢に迎え、ワークショップを行い、当時のカフェフルールの庭に大きなセイクレッドダンスの輪ができた。手をつないでダンスするなんて、小学校以来。かなり照れくさいけど、みなさんの無邪気な笑顔がとても印象的だった。
ちょうど、その頃私は30代半ば。漠然とこれからのことに想いを馳せるタイミングでもあり、初めて自分からレイキを学びたいと言い出し、「スピリチュアル」にそろりそろりと近づいていた頃だった。
私は2004年の始めに通訳、渡辺雅子さんが招きあちこちでワークショップを開催した、フィンドホーンを創成期から関わっていた重鎮、イアンとロージー夫妻と出会い、その大きな身体から放つあったかい空気感に惚れ込んで、こんな人たちが創ってきた場所なら行ってみたいと、その夏の体験週間にすぐに申し込んだのだった。
せっかくなら夏に、ということでツアーのタイミングとは合わず、毎週のように行われているインターナショナルの体験週間に単独参加。
フィンドホーンはもとより、初めてのスコットランドという土地に向かうのがちょっとした緊張感で、半年かけながら徐々に準備を重ねて行ったのだった。
アプリケーション、デポジット、そして自己紹介文。なぜ私はフィンドホーンに向かうのか。何を書いたかはもう忘れてしまった。(つづく)