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~こころ軽やかに~
豊かな人生を創造したい人へ

死を看取る

死はかつて身近な存在であった。医療の進歩と共に、家で死を迎えることは多くの人が望んでいるにもかかわらず、現代では叶わぬ願いとなっている。一方、癌が死因のトップとなり、告知を受けようと受けまいと、本人とそれをとりまく家族の苦しみははかり知れない。今、医の倫理が問われる中で、自分たちのつらい体験を繰り返さないように、またよりよく死を迎えようとする動きがさまざまな方向から起こってきている。

死の受容の心理過程

愛する人や頼っている対象を失うこと(「対象喪失」)と、それによって生じる正常な情緒的反応である悲嘆の状態から、再び生活に適応していくまでのプロセスである「悲哀(喪)」を、自分の体験に基づいて、初めて洞察したのが精神分析学の創始者フロイトである。現実には喪失した対象である内的対象への思慕が続くことによって起こる苦痛を「体験」し、「洞察」し、「推敲」していく作業を「喪の仕事」といい、人はそれを達成すると、より深い人間性が具わるという。
臨死患者は、最も愛すべき存在である自己に対する「悲哀」の心理過程をたどる。多くの臨死患者を看取ることで、「死」という分野が心理的援助を必要としている領域であると考えたパイオニアが精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスである。彼女は死にゆく人の心理過程を五段階に分け、死の否認・怒り・取り引き・準備的悲嘆(抑鬱)・死の受容という過程をたどると述べた。事故や手術のために身体の一部の機能を失った人、病気のためにハンディキャップをもった人なども、ほぼ同様のプロセスをたどる。
ほとんどの人は自分が死に直面したとき、また家族の誰かが死にゆくとき、自分の悲しみをどのように処理したらよいか、また死をどのように扱ったらよいか途方に暮れる。「なぜ私が?」という問いの前に言葉を失う。絶望のあまり自殺を考える人もいる。諦めと失意から死期を早める人もいる。家族は悲しみを抑圧することにより、「対象喪失」後、高い率で自らも身体病を患ったり、鬱病に陥ったり、逆に躁状態になったりする。
心と体は別のものと考える心身二元論や、科学一辺倒の考え方では、容易には問題解決の糸口は見い出せない。東洋では古来から生死一如とされ、常に「生死」を問題にしてきた。精神科医の神谷美恵子は、生と死は川と海がつながっているようにひとつであり、人間は死すべきものであるという自覚のもとに、少なくとも中年期以降は死を覚悟しつつ生きる者のほうが、生をよりよく充実させ、死をも自然な心で迎えられると述べた。またユングは、個性化という言葉で、人生の後半の課題は老いや死を積極的に体験していくことであり、いかに死に直面していくかが目標であるということを表現している。

死にゆく人へのアプローチの仕方

現在、終末期にある患者を看取るケアは「緩和ケア」と称し、「あなたはあなたのままで大切です」と言ったシシリー・ソンダース医師の構想をもとに、英国の聖クリストファー・ホスピスで始まった。適切な症状の緩和を目的に、全人的なアプローチにより、患者は尊厳に満ちた終末を迎える手助けを受けることができる。
ここで問題となるのは「霊性」である。日本では、霊性とは一言でいえば宗教的意識と考えられてきた(鈴木大拙)。欧米での霊性(スピリチュアリティ)とは、「自然界に物質的に存在するのではなく、人間の心にわきおこってきた観念の ―とりわけ気高い観念の―領域に属するものである」と定義される(WHO)。信仰の有無に関わりなく、人生に対しての心構えや態度と考えられている。
「霊的ケア」「宗教的ケア」「パストラルケア」は、ほぼ同様の意味として用いられているが、各々微妙なニュアンスの違いがある。いずれにせよ人生の意味づけや目的といったものが霊性の中心的特徴であり、人々がそれらを探求できるようになることに重点が置かれる。「霊的ケア」は、それぞれの人が自分の中に存在する霊性に気づくのを可能にさせ、助けることを目的としている。よい「霊的ケア」とは各個人の信念を尊重し、その要求をできる限り満たすよう努めるものである。相手をあるがままに受け入れ、相手の気持ちに寄り添っていくことである。
死の問題の専門家の多くは、愛する者に対してできなかったことを他の人に対してやろうとする無意識の代償行為をしている場合があり、自らの動機を認識し、自己の限界をわきまえて、各自の責任のもとにケアを行なうべきである。自己の信条や信仰、価値観をくれぐれも押しつけないようにすることが重要だ。相手と共に心の旅をするのである。キューブラー・ロスは、死にゆく人々の言葉に耳を傾けてさえいれば、生について無限に多くのことを学ぶことができると述べている。

まず、この1冊!
『死ぬ瞬間』
エリザベス・キューブラー・ロス著
川口正吉訳
読売新聞社

■精神科医・50代・女性

長年、心を病む子と母親に出会ってきた。多くの子どもたちは、彼らをとりまく人々から負った心の傷を抱えて・・・。子ども以上に親の傷も深い。癒されない傷を抱えた重い心の人の話に耳を傾ける。心身の病をもった子を受け入れ共に歩んでいく母親の疾病受容のプロセスは、まさに「喪の仕事」である。それまでの信条・価値観・信仰が、「対象喪失」に直面して適切でないことを自覚したときの葛藤は大きい。
二十歳を過ぎたばかりで突然、死にみまわれた青年の母親に出会った。準備的悲嘆がない悲しみははかり知れず深い。一生癒されることはないのではないか。また、同じくらいの年齢の青年の癌告知を受けた母親(青年は告知されていない)に出会った。母の悲しみは想像を超えるものがあった。その母親の準備的悲嘆に寄り添った。母親は三年を経て「もう何もこわいものはなくなりました。覚悟はできています」と述べた。半年の命と言われた青年は、幸い命をながらえている。
心を置きざりにされたケアの中で、死を迎え、看取らざるを得なかった家族の悲嘆・怒り・罪悪感をまのあたりにすることも珍しくはない。人は決して死別の悲しみを克服するのではなく、それと共に生きていくことを学ぶだけである。死別の悲しみからの回復などというのはなく、それは永久にその人がいなくなった環境に慣れることであり、新たな環境への順応、自己の発展・成長の機会である。
精神科医を志したのは単純な動機であったが、相前後して「対象喪失」を体験した。その後、精神科医としての経験を経てからの「対象喪失」と「喪の仕事」、それらによって自分自身の成長が促された。まさに人生の価値観・アイデンティティの変革をせざるを得ないような体験であった。そのような中にあって目に見えないものへの信仰に目覚めさせられ、言葉ではない暖かい眼差しに癒された。
人はそもそも弱い存在である。社会の中で生きていくということは、価値観の違う人々と否応なしに接していくことである。自己を殺していく中で、ともに同じ方向に目を向けていく人々と時空間を共有することは大きな癒しである。いかに多くの人が、人を助ける立場にありながら、本当の意味で、自己を愛し、自己を全面的に受け入れることがむつかしいことか。受容・共感・傾聴ということがどれほどむつかしいことか。E・キューブラー・ロスの言うように、専門家と称する我々は、個人的動機を充分吟味し、意識化し、洞察することが必須である。自己を知り、真理を探求し、本当の自分になることが、心の旅をすることである。
大切なことはDoing(行為)よりもBeing(存在)である。本当に必要なものは与えられる。

■セラピスト・40代・女性

Yさんが、セラピーの場に現われたのは、ガンと医師に診断を受けて、五年を経過してからでした。
Yさんは感のよい人で、診断を受ける前から自身がガンだと思い、伴侶に、もし宣告された場合はありのままに伝えてほしいと頼み、ガンである事実を知りました。身体のいろいろな部位に転移している可能性を予測していました。Yさんの切なる願いは、身体中切り刻まれて死んでゆくのは、嫌だということでした。疲れきった中で、「民間療法」でやっていくという、内面では苦渋に満ちた選択をし、ガンに立ち向かっていました。
セラピーを受けるようになってから、Yさんは当時を振り返り、「私は、子ども・伴侶・両親等、家族の私への心配を一身に自分の心・腹・肩に背負い、自分をも支え、孤独だった」と語っていました。
身体に対しても、心の平安に対しても、あらゆることをし、乗り越えてきていました。心のケアとして、自然の中に入り、ヨガやダンス、瞑想などをやり、自分の生き方を見い出していました。今までかかわってきたことのない数多くの友人とも出会ってきました。
そんなYさんが、サイコセラピーの門を叩いたのは、手術を余儀なくされたときでした。心の平安をもっていても、どこからとも知れず、身体の奥のほうから訴えてくる何かがあったのです。
セラピーの場では、「今、ここ」を大切にして観てゆきます。まず、腫瘍になりきって音を出してゆきました。そこには、観ないようにしてきた怒り、辛さがありました。愛している伴侶・両親へのずっと昔の蓄積された怒り・・・「今さら」という気持ちと、「今、私は」という気持ちが葛藤していました。「なぜこんなとき出てくるの?」・・・Yさんはもっと深く身体の声を聞いてあげました。そこには、小さな子どもがいました。母へ、伴侶へ、ありのままの気持ちを伝えたい。怒りも、甘えも、寂しさも、せつなさも・・・よい子になるのは、疲れた。本当の気持ちを感じ、表現するのを怖がっていました。「生」をもっとありのままに感じるのが怖いから。病気の苦しみや死の恐怖に目をつぶって、頑張りたい。生きたい。
Yさんが自分に真っ直ぐに向き合ったとき、自分のすべてのものを自分が受容したとき、身体の中の子どもの声を直視したとき、Yさんは現在(いま)を大切に生きる境地に近づいていきました。
最後の一瞬まで、死を前提でなく生を前提に生き抜いたのです。でも、生易しいものではなかった。死を乗り越えて、真に生きることの凄さ、力強さ、人間の可能性が見えたのです。

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