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~こころ軽やかに~
豊かな人生を創造したい人へ
ネイティブ・アメリカン

ネイティブ・アメリカン(体験談)

ネイティブ・アメリカン画像

2年程前から、私はネイティブ・アメリカンのスピリチュアリティについて学んでいます。スウェット・ロッジやパイプセレモニーを体験したり、メディスンマンと呼ばれる人や、エルダー(長老)と呼ばれる人の話を聞きました。
彼らの居留区を訪れ、彼らが母と敬う大地を旅しました。いろいろな人に出会い、いろいろなことが起こりました。
その一つひとつがすべて私のなかに深く残る大切な出来事でした。けれども、それらの出来事は結果であると同時に、次の出来事を引き起こす原因でもあり、度重なるごとに、それらすべてが深いプロセスであることに気づかされます。これは私自身にとっても、また広く地球にとってのという意味でもです。
最近、ロサンゼルスの博物館でアメリカ大陸とアフリカ大陸に住む動物たちの剥製が展示されているのを見る機会がありました。コヨーテの親子が遊んでいたり、熊が水辺で鮭をとっていたり、ライオンが、アフリカ象が、見間違えるほど上手に描かれた風景のスクリーンの前で、その生命にストップモーションをかけられたようにそこにいます。
けれど、もちろん彼らに命は宿っていません。スピリットの抜け殻が、人間の手によって正確に作り変えられ、あたかもそのままそこで生きているかのように見せられているのです。この動物たちを見て心が喜ぶ人はいるのだろうか、そして、人は何のためにこんなことをしているのだろう、と考えてしまいます。人間はこんな風にすべてを破壊してしまうのです。このコヨーテの子どもたちは、このためだけに殺されてしまったに違いありません。上手に復元されてはいますが、亡骸だったこの「四つ足の人々」の姿が浮かんできます。
もしこの作業が善意で行なわれていたとしたら、この星は本当におかしなことになっていると思います。このことをおかしいと思わないことが、心の病にかかっているということなのかもしれません。そして、自分を振り返ってみると、私もきっとこうだったのだということがはっきりわかります。ネイティブ・スピリチュアリティに出会って、私に「本当のこと」を感じとるバランスが戻ってきたのかもしれません。
こんな風にふと気づくと、自分の感じ方が変わっていることがわかります。いつの間にか心が先に動いていて、理解が後から追いついてきます。バランスを取り戻していくプロセスの道を、私も歩きだした気がします。
彼らネイティブの言葉に耳を傾けなければならない、と心から思います。私自身のために、この地球に住む人々のために、そして地球のために。私たちは本当に何も知りません。こうして動物を殺して、ただ見せるためだけに並べるようなことをしている私たちは、本当に無知だと思います。そして、このことを書いている私自身も、知らないことがまだまだ数え切れないほどあります。すべてのものに依存しなければ生きてゆけない人間の、本当の心に近づくには、謙虚でいるということの意味を知らなければ、と思います。
(主婦・30代・女性)


私とスウェットロッジとの出会いは、とても印象的なものでした。それは私自身、自分を見つけ直す旅を始めて間もない頃で、時期を同じくして、知り合った友人たちが、ネイティブの儀式をアメリカで体験するために、こぞって渡米して行ったのです。その中に、彼らの儀式の一つであるビジョンクエストを体験し、帰国したばかりだという友人がいて、その人を通じてこの儀式に出会ったというのが、最初のきっかけでした。それから間もなく、「体験したい」と望まずも、いつの間にか、私はスウェットに入る機会を、自分の誕生日に初めて体験するといった形で手にし、それから、私とスウェットロッジとの関係が始まったのです。
スウェットロッジは、そのシンプルな半円形の外観と内側の中央に掘られた穴に積まれていく真っ赤に焼かれた石、そしてその石にかけられてできる熱と蒸気、遮光されてできる真暗闇といったものが特徴です。特に、焼けて真っ赤になった石はとても美しく、その石には、外でその石を焼いてくれていたファイアーマンの祈りが込められていて、その石から発する熱と蒸気は浄化を促し、母親の「子宮」に抱かれ守られながら、祈りや汗と共に、不要になったものを手放すプロセスをうながします。時折、猛烈な熱さや喉の乾きを感じることがありますが、そういうときには、より深く祈りに集中すると、その祈りが「創造主」に向かって一直線に捧げられているのを感じるときがあります。これらのプロセスは、とても強い「きずな」を作り出し、その関係性は「創造主」と「自分」、そして大地や存在するすべてのものとの間に築かれていきます。中でも、儀式が始まる前は、まったく面識がないという事情にも拘らず、共に座り、時間と空間を共有しながら一緒に祈ったという事実によってのみで、「仲間」としての強く深いつながりが生まれたりします。ここで得られる一体感によって、実際に、人間関係に癒しがもたらされ、様々な事柄が変化していくという体験を私は得ました。小さな輪の中で、熱さと共に祈られた祈りの一つ一つが、やがて風に乗り、あらゆる場所を巡って、大きな癒しとしてもたらされるのだという自分の存在を感じるのです。共に祈りを分かち合う機会を得た人々とのつながりが、より大きな癒しの礎になっていくことが、多くの人々の願いだと思い、現実になることを希望しています。
(会社員・31歳・女性)

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