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~こころ軽やかに~
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シン・インテグレーション

シン・インテグレーション(体験談)

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第1回目のセッション。予想以上の痛さ。苦痛に顔が歪む。でも我慢しなくては、この痛みに耐えてこそすばらしい変化が待っているのだ、と歯を食いしばった。ああ、でもやっぱり痛いよう…。もともと私は辛抱強いほうじゃない。空腹、寝不足の状態が続こうものなら、誰よりも早く音をあげるタイプだ。もちろん、肉体的苦痛にも極端に弱い。そのとき、忘れもしない、施術者の方がこうささやいたのだ。「この痛みは体の愚痴だと思って聞いてあげてくださいね」
その瞬間、「痛み」が、まるでずっと泣くのを我慢していた子どもの小さな泣き声のように思えて、いとおしい気持ちがどっと溢れてきた。体は私に復讐したいのではなく、受け入れてもらいたいだけなのだ。言葉の代わりに痛みで話しかけているだけだったのだ。痛みを「聞く」ことで、私は体と親密になっていった。壁が少しずつゆるんでゆく。境界線がなくなっていき、自分が拡がっていった。
痛みを伴うマッサージの合間、体を休めるためにそっと置かれる施術者の手のひらの感触も、私の鎧を崩すのにすごい威力を発揮した。母も友も恋人もこんなふうには触れなかった。自分でもさんざん乱暴に扱っているこの体を、この手はまるで宝物のように扱ってくれる。安心感に包まれるって、きっとこんな状態をいうんだろうなあ。うっとりしながらも、第1回目にして初対面の男の人相手に、みごと赤ちゃんがえりした自分には本当に驚いた。(電車内で隣りの人と肩が触れただけで嫌悪感を抱くこの私が、である!)その日はあまり気乗りしなかったパーティーを軽やかにキャンセル、体の奥からこみあげる笑いを隠しもせず、二駅ぶんスキップして帰った。道行く人はさぞかし気味悪かっただろう。
指折り数えて待ちわびた2回目のセッションでは、私が認めたくないこととの「ご対面」が待っていた。腿のマッサージのとき、まったく突然に涙がぽろぽろ溢れてきたのだ。施術者の方は、私の体に触れていると「さびしさ」が伝わってくるのですが、と控えめにコメントした。施術者にはまったくそんなつもりはないのだが、私は侮辱されたような気がして、恥ずかしさと悔しさで泣きながら訳のわからない言い訳を口走るだけだった。寂しさなんて古くさいフォークソングみたいな感情、最高にダサイ、と思って今日まできたのに。でもそれは、甘えたくても甘えられなかった辛さを二度と味わいたくないため、冷凍したにすぎない。
帰り道「本当に寂しかったのか―おまえ」と何だか自分がいじらしくて、少し泣いた。流れ落ちる涙をそのままに、今度は夜道をとぼとぼ三駅ぶん歩いて帰った。部屋でそっと自分の腿に触れてみると、驚いたことに手のひらから腕にかけて、咽が熱くなるようなさびしさがサーッと浸透してくるのをはっきりと感じた。
その後の私の変化は、軽ーく1冊分、本が書けるほど。そして今も変化は続いている。頭のいうことだけを優先した時代は終わり、体の意見も聞こえるようになった。体と心と頭が手をつなぎ合うのも、きっと、もうすぐだ。
(ライター・33歳・女性)

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