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フェルデンクライス・メソッド

フェルデンクライス・メソッド(体験談)

フェルデンクライス・メソッド画像

初めてフェルデンクライス・メソッドと出会った頃、私の体と心はとても病んでいた。というより、体と心がバラバラの違う方向を見てしまっているようなときだった。
それより約2年前、ドイツで交通事故に遭い、ドイツと日本の病院に約8カ月入院していた。ドイツで1カ月、帰国してさらに日本でも1カ月、意識不明が続いていたが、意識回復後半月経ってから、いろいろな種類のリハビリを始めた。
リハビリの訓練は、まさにフェルデンクライスが批判している「機械的な訓練」の繰り返しだった。それでも、訓練の成果か車椅子から立ち上がり、どうにかひとりで歩くことができるようにはなった。
しかし「体」の機能回復と「心」のそれは、同じペースでは進まないものらしい。病院のリハビリで「心理」という時間が、週に一度あった。それは書類だらけの狭い部屋に患者がひとりずつ呼ばれ、その中で知能テストやロールシャッハテストを受けるという、患者の心を完全に無視した『絵に描いたような心理』の時間だった。その「心理」の時間を『拷問』と感じてしまったのは、おそらく私ひとりではないんじゃないかと思う。
事故から約8カ月後、リハビリは終了したものの、その後1年半近くそれまで経験したことがないくらい心が落ち込んでいた。「私はなぜ事故で死ぬことができず、こんな世の中に生き残ってしまったのだろう…?」という、答えの出るはずのない問いが、頭の中をぐるぐる回っていた。家族はとても心配し、いろいろなことを勧めてくれたが、私は自暴自棄になり、何にも興味が湧かず、無関心、無感動の日々を送っていた。
そんなとき、フェルデンクライス・メソッドの講座案内を偶然見つけ、週1回ずつ通い始めた。初日に、先生に事故のことを話し、自分にもできるものだろうか…とたずねた。とてもゆっくりとした動きの中で、自分で見つけてゆくものだから大丈夫と言われて少し安心した。
その頃はまだ右半身の麻痺が残り、まっすぐ歩くこともままならず、目は一応見えはしたが、頭を右に曲げないと物の焦点が合わなかった。だから、精神的なひどい落ち込みからは抜け出せはしたものの、ある種やけっぱちになっていたところがあったので、周りの人々の、レッスン中の動きを観察するような余裕はまるでなかった。自分の体では、周りの人と同じように動けるはずもないのだから…という、どこか諦めにも似た気分もあったので、自分の中だけで、聞こえてくる先生の言葉を消化していくほかなかったのだろう。いま思うと、それがかえってよかったのかもしれない。
フェルデンクライスと出会って、もう1年以上が経った。短いこの間に、狭まっていた右目の視野も広がり、両目のバランスのずれも、両目を時計の文字盤のように動かすレッスンで(信じられないことだったが)すっかり改善されてしまった。
今は日常生活の中にも、自然とフェルデンクライスの考え方がしみてきたように感じることがある。それともうひとつ最近感じることは、これまで慣れきって当たり前のこととしてとらえていた『知識』からだけの判断を少し黙らせて、自分の心や体から自然に湧いてくる―染み出してくる声(智恵)を行為すべての礎として、もう一度、見たり、聞いたり、触れたり、感じたり、…そして、驚いたりしてみたい。フェルデンクライスの考え方は、人間の生の根となる部分と深くつながっているように思える。
(自由業・30歳・女性)

※『フェルデンクライス体験 第一集』
(フェルデンクライス研究会編集)より抜粋

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