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~こころ軽やかに~
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ヒプノセラピー

ヒプノセラピー(詳細)

記憶か想像か?

催眠療法ではまず、自分が最も落ち着ける格好をする。座ってもいいし、横になってもいい。外との世界を気にせずに、自分に集中できる体勢を整えると、セラピストから「今の自分に必要な場面に行ってください」と指示が出る。たとえば、たいへん怒りっぽい人がこの指示を受けたとする。そのとき、今までに自分が怒ったときの場面を思い出すかもしれない。それは、ただ記憶をたどっているだけのようにも見える。しかし、この人は催眠状態にあるので、思い出した記憶は日常生活の中で思い出すそれよりも、鮮やかに頭にイメージされることだろう。何か、今まで心の奥に隠れていた記憶までもが呼び起こされた感じになったりする。これは、催眠により普段意識していない意識(潜在意識)に触れ、その中にあった記憶を思い出しているからなのである。
記憶をたどっているうちに、自分の前世までさかのぼってしまうこともたびたびあるらしい。幼い頃の記憶が鮮明によみがえった、などというと、それは自分の想像に過ぎないのではないかと思うだろう。前世の記憶なら、なおさらだ。しかし、ここで重要なのは思い出したことが本当にあったのかどうか、ということではない。むしろ、それはどちらでもよく、今の自分に必要な場面はと聞かれたとき、そのイメージを浮かべたこと自体に意味があるのだ。想像だとしても、なぜ今その想像をしたのか。自分はそこに何かを求めているのではないか。イメージをどう捉えるかは自分次第だ。その結果、自分はこうすべきだったのかという気づきが得られれば、癒しにつながるのである。
セラピストはクライアントに何も断定はしない。セラピストが自分の考えで、クライアントにこうしなさいと言うのは簡単だが、それではクライアントはいつまでたっても癒されない。自分で気づかなくては意味がないのだ。
記憶と想像。頭に浮かぶクリアーさはほとんど同じだ。たとえば、自分が今朝起きたときのことを思い出してみる。これは記憶である。では、自分が京都の舞子で、三味線のお稽古をしているところを想像する。頭の中には、白粉を塗った自分が三味線を手にしている姿が浮かんでくる。朝起きたときの自分と、舞子の自分。今、この2人の自分は、どちらが実際に起きたことかわからないほど同じ鮮明さで記憶のひとつとなった。これから舞子を想像するとき、今のイメージが浮かぶだろう。こう考えていくと、ちょっとした想像も、以前に起こったことをかいま見ているのかもしれない。
この世の中に偶然ということはない。すべての出来事は、何か自分につながりがある。物事すべてが意味をもつ。これが催眠療法の基本的な考えである。



まず、この1冊!
『あなたにもできる ヒプノセラピー』
A・M・クラズナー著
小林加奈子訳
VOICE

印刷:フィリ http://www.fili.co.jp