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~こころ軽やかに~
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シュタイナー

シュタイナー(体験談)

シュタイナー画像

私が初めてシュタイナーに出会ったのは今から十数年前に『ミュンヘンの小学生』という本を通してです。これはシュタイナーの教育を実際に行なっているドイツの小学校に入った日本人の子どもとその親の体験が書かれていました。最初の印象は、「すばらしい、自分の娘も、このような環境で育てられれば」との思いもありましたが、当時は、私もまだ学校や学力という観点で教育をとらえていた部分もあり、私達のおかれている状況では理想にすぎない、という考えのほうが残りました。
その頃、私の娘は中学生になっていました。感受性が強かった娘は、いろいろなことが重なり、だんだんと心を閉じはじめていました。表面的には普通にしていましたので、親の私も初めは気がつきませんでしたが、少しずつ様子がおかしくなってきました。高校に進むと、本人とすればかなり我慢して通っていたのだと思いますが、とうとう精神的に疲れてしまい、それが原因で体に異常をきたし、ついに『学校へは行きたくない』と言い出しました。
私は無意識のうちにも、学校を辞めたいと言った娘を責めていたし、私自身をも責めていました。けれど、娘がどのくらい我慢して通っていたかわかっていたし、学校の教育方針に疑問も感じていたので、辞めることを認めました。
しかし、このままでは…と悩み、何か手立てはないものか、と模索していました。そんなとき、ある週刊誌に『ミュンヘンの中学生』というあの体験記の続編が連載されました。シュタイナー教育の本質などわかりませんでしたが、記事を見て、これが手がかりになると直観しました。そして、この後すぐに、シュタイナー教育の講座を受講して、他にもシュタイナーに関する勉強会に幾つか参加しました。
その中で「シュタイナーを通してグリム童話を読む」という機会があり、これは私にとって忘れられないものになりました。このとき取り上げられたのは『いばら姫』でした。螺旋階段の塔をお姫様が、16歳の誕生日に昇っていって、糸つむぎの針を刺してしまい、魔女の予言どおり長い眠りに入ってしまうという有名な童話の一節です。
この螺旋階段の塔を昇るというのは、『親に守られながら子どもがさまざまなことを反芻して、やがて思春期の自我の芽生えに向かう』過程で、針を刺すのは、『子供が自分自身の意志で行動するとき、未知なるものに出会い一度は痛い思いをして学ぶさま』で、眠りは『自分自身を見つめている状態』なのだ、等々…。「いばら姫」は、娘そのものだったのです。彼女は、自分で歩き始めるために「眠っている」のだと思いました。
そしてほぼ同じ頃に、オイリュトミーというシュタイナーの身体芸術を体験する中でも、私にとっては決定的な出来事に遭遇しました。オイリュトミーを始めるとき、まずきれいな円を作ります、自分たちではきれいな円を作ったつもりでも、実はいびつな円になってしまいます。きれいな円をつくるために必要なことは、自分の思いだけでなく相手に、愛をもって向かい合い、相手を本当に受け入れる姿勢だと、何度か繰り返すことで教えられ、自分でも体感しました。これらのことが私に『娘や自分自身を責めるのではなく、娘も自分も認めてともに歩んで行こう』と思わせてくれました。この頃には娘も徐々に心を開いてきて、自分の意志で新しい生活を始めました。
私はシュタイナーの講座や勉強会、そしてオイリュトミーを体験することでシュタイナーの世界観や人間観を学び、そして人と人の向かい合い方を教えられ、同時に、自分が学んだことを自分自身で常に実践していくことの大切さを教えられたのだと思います。そして、次の世代の子どもたちや社会にシュタイナーの示す可能性を拡げたいと思い、現在もシュタイナーを学び、実践し続けています。
(母親・50代・女性)

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