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チベット密教

チベット密教(詳細)

出離、菩提心、正見

順序は逆になるが、まず正見とは、智慧を磨いて正しい見解を保つことだ。たとえば、輪廻転生や業の因果といったことについて、理論的に正しく理解しておかなければならない。チベット仏教の教理は、こうした点を前提に成立しているから、もし仮に来世の存在を認めないというならば、仏教の修行を実践する意味は何もなくなってしまう。また基礎的な教えと同時に、究極的な真理である空性(あらゆる事物や現象が堅固な実体として存在せず、恒常不変な性質を欠いているというあり方)について学んでおくことも、密教の瞑想を実践する上で必須の条件となる。
次に出離とは、輪廻に生死を繰り返している状態が、本質的に苦しみ以外の何物でもないと見抜き、輪廻からの解脱を目指すことだ。これは釈尊が最初の説法でも強調して説いた教えであり、仏教の出発点となっている。よく「密教は現実肯定主義だ」などといわれているけれど、仏教の基本原則から逸脱するようなものであってよいはずがない。
最後に菩提心とは、簡単にいえば思いやりの心であり、生きとし生けるものすべてを救うために仏陀の境地を目指すという志だ。これは大乗仏教の思想にほかならないが、そもそも密教とは大乗仏教の枠組みの中で捉えるべきものだから、菩提心が必要不可欠であることはいうまでもない。菩提心を起こして大乗の道を歩む修行者、それが菩薩である。
観自在菩薩は慈悲の象徴であり、チベットの国全体の本尊とされている。その観自在菩薩の瞑想法で、修行者は「生きとし生けるものすべてを救済したい」という誓願を本尊と共有する。そして救う側(観自在菩薩)、救われる側(衆生)、救済方法(利他行)という三者の区別が解消された境地を瞑想するのである。これは重要なポイントだ。他者を救済するという修行の過程でこそ、自らの心の向上も実現できるのであり、本当の幸福はその中に見い出せるはずだ。それはまさに、大乗仏教の修行者ならではの、歓喜に満ちた体験である。



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